戦前に園芸・造園業で発足
ブライダル&フレンチ・レストラン「ブルーミンメドー」は、株式会社 渡辺農園(本社神戸市、渡辺拓也社長、資本金2000万円、詳しくはこちら)が経営しています。
同社は昭和10年(1935)現在地で創業、戦前、戦中、戦後を農園経営を主業務に、園芸並びに造園業を展開してまいりました。
戦後の高度経済成長期には、公共緑化事業を専業とする造園会社を西宮市内に設立し、飛躍的に発展。昭和60年代に新型緑化工法の研究開発と事業化に乗り出しました。
これは、「ワイルドフラワー緑花工法」と名付けられたもので、野花(ワイルドフラワー)種子を混合し、都市周辺の広い緑地面積に播いて、山野に見られるような自然な〝お花畑″を創出する新型造園工法です。
基礎技術は、米国テキサス州高速道路局が戦前に開発、実用化しており、同社がいち早く注目し、わが国の緑化市場向けに開発に取り組みました。
ブルーミンメドー(Blooming Meadows)とは文字通り〝花咲く草原″の意味で、この時、この工法に命名されたブランド名なのです。
導入当初は、高温多湿で雑草繫茂の著しいわが国特有の気候風土になじめず、悩まされましたが、粘り強く研究開発と事業化を続行。
やがて公園、道路、市街地、緑化フェア等の公共事業に採用されるようになり、平成期には北は北海道から南は沖縄の離島に至るまで、全国各地でこの工法による現場が展開、目まぐるしい忙しさに追われる日々が続きました。
「ワイルドフラワー緑花工法」の普及による多忙な毎日に突然、阪神淡路大震災が当地を直撃。未曾有の大震災は、一瞬にして6000名近い尊い人命を奪い、独特の文化を育んだ豊かな街並みを壊滅させました。
フル操業していた社業も現場も一時的にすべて断ち切られ、それから長く苦しい足取りの「復興」という歩みが始まるのです。
現在の施設、ブルーミンメドーがどのような経緯で誕生するに至ったのか、当社の代表者がその思いを以下に記しています。
誕生の〝原点″とも言える阪神淡路大震災からの歩みをごらん下さい。